3/18 日本に避難することができました。ウクライナから日本への避難録
1週間の自宅隔離
3/19 日本での避難生活が始まりました。まず感染防止水際対策、1週間の自宅隔離。
関西空港でダウンロードしたMySOSからランダムにビデオ通話による健康チェック、そしてGPS機能で登録した住所から離れていないかチェックされていました。言葉の壁を心配してビデオ通話に出ることをためらっていたお祖母ちゃんについては、MySOS担当者とメールで健康状態を報告しました。
短期滞在ビザ⇒特定活動ビザへの変更手続き
ご家族が自宅待機されている間に短期滞在ビザ(通称観光ビザ、90日滞在可)から特定活動ビザ(就労可、1年滞在可、住民登録可=健康保険、通学が可能になる)への変更申請書類を準備し福岡出入国管理局でチェックしてもらいました。特定活動ビザ申請書書式は「R」ではなく「U」を準備しなおすように指示されました。この特定活動ビザでの活動内容については、ウクライナからの避難民への対応について詳細が決まっていないため、質問がある際はその都度問合せするように指示されました。
自宅自主隔離期間終了→ようやくお買い物へ
ようやく外出できるようになったので、早速近くのショッピングモールに必要なものを買いに行くことができました。マイナス20℃のウクライナから取るものも取らず避難して来たため、靴は1足、冬用衣類のみ持参されていました。
持病があるお祖母ちゃんの医療機関受診も待たれますが、自費診療となるため、短期滞在ビザ(通称観光ビザ、90日滞在可)から特定活動ビザ(就労可、1年滞在可、住民登録可=健康保険、通学が可能になる)への変更を待ちました。
福岡出入国管理局で5名分のビザ変更申請。16歳未満は写真不要、大人3名の写真(¥900X3)を撮って申請しました。

特定活動ビザができたとの通知が郵送されてきました。
政府から出入国管理局へ「ウクライナからの避難民によるビザの変更申請には早急に対応」との通達により、通常ビザ変更には早くて2週間~1か月はかかるところが今回の変更は10日でビザ変更完了していただけました。
一人4000円X5名分の手数料を支払い、特定活動ビザを受け取りました。
一気に用事を済ませた長い1日。
①市役所で住民登録、国保加入、就学申込、児童手当申請
あらかじめ市役所の方が5名分の下準備をしてくださっていて、各担当部署での手続きはスムーズでした。しかしながら、五人分の氏名・誕生日・住所等々を各部署での書類に記入しなければならずスムーズとは言え3時間位かかりました。「事前に自宅で申請入力しておいて来所時には各部署に情報が反映されて発行手渡しのみ可能」とか「在留カード読み込み→日本語での情報反映→外国人が書類を日本語で書かなくても良い→各所発行手続き可能」等々ができるといいなと感じました。
ただ、子供達二人の児童手当申請ができたので助かりました。
②銀行口座開設
児童手当申請には保護者の銀行口座が必要でしたので、口座を開設に行きました。在留カードを提出、書類を日本語で記入、外国人が口座を開設するための沢山の質問回答、そして待ち時間さらに2時間。ウクライナ語の書類はありません。
③病院受診
ようやく持病を持つおばあちゃんのかかりつけ医受診。
あらかじめ病院の担当の先生には事前連絡(基本情報・病歴・薬歴等分かる範囲)をしていました。診察室に入ると、先生はパソコンの翻訳ページを開いてくれていて「日本語⇆ウクライナ語」で話ができるように準備されていました。
ウクライナはどちらかというと「対症療法」が中心。日本では処方箋が必要な薬が処方箋なしで薬局で買えるようです。血圧が高ければ低くする薬を飲む、血圧が低ければ高くする薬を飲む・・・というような生活をしていた様子でした。
この日初診時は検査と処方箋をいただいて帰宅。2週間後に再診予定でしたが、薬の効き目調整のため1週間おきに受診しました。約1ヶ月後、お薬調整が落ち着きました。
④小学校訪問
この日は入学式前で、訪問した小学校の先生方・市役所の学校教育課の方々、皆さんお忙しい中、全人道的な気持ちで応対・説明してくださいました。日本語を話すこと・書くこと・読むことをゼロから始めなければなりません。英語も不可、ウクライナ語のみ。当人子供、保護者、先生方の不安と負担は大きいです。しかしながら、みんな学校へ行くことへは前向きです。手探りで少しずつ前へ進むために協力していくことになりました。

日本に住民票を持っての生活がはじまりました。
就学、就職、医療・・・
まだまだこれからです。

ウクライナから避難されてくる人たちは今後も増えることと思います。
避難後にしなければならない、した方が良い手続きが
難しくないことを願います。