2022年3月18日、ウクライナから日本へ何とか避難することができました。
全ての書類は日本で準備可能(本人確認と署名は現地)、各所への連絡も日本からできました。様々な手配もなんとか日本からできます。
しかし、もっと簡単で良い方法もあったかもしれませんし、今後は政府や団体から別の方法が出るかもしれませんが、ウクライナ侵攻後、ウクライナから日本へ家族を呼び寄せるまでの今回の体験を日を追って振り返ってみたいと思います。

2/24 現地時間早朝、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまりました。
侵攻が始まって2時間後、ウクライナから連絡を受け、避難するための資金を国際送金しました。が、換金できる営業所が閉店や換金限度額制限しており、全額換金はできませんでした。 5人用の自家用車1台に大人5名、子供2名は膝に乗せて首都キエフ郊外から南西へ避難するため出発。 運転できるのは男性1名。ガソリンスタンドや道路は渋滞しており、目的地へ到着するまでは時間がかかりました。
2/25 ルーマニアとモルドバの国境から車で約3時間の地域に避難することができました。知り合いが以前使っていた空き家に滞在することになりました。

日本から何ができるのか。この時点では送金と現状確認することのみ。
唯一の支えは、SNSを通してウクライナの家族や友人と連絡が取れていたこと。
2/26 日本で何かできることはないか友人と一緒に考え、チャリティレッスンと街頭募金、平和集会への参加について話しました。
2/28 ウクライナ人で日本語が話せる通訳をNHKが用意してくれ、ヴァレリ先生がインタビューを受けました。ウクライナの家族を心配して眠れないこと。日本からできることがなく無力感、憤りでいっぱいであること等々を話されていました。
そして、数日間。
ウクライナを出国すべきか、情勢を見ながらウクライナ国内で避難生活を続けるか、結論をだせないままご家族と毎日話し合っていました。侵攻が終わってほしい、終わるかもしれないという期待もぬぐえない。しかし、ロシアからの攻撃は収まる気配なく、家を守ると言って自宅に残った兄のことも心配でした。
3/2 もしも日本へ避難するとなった場合を想定して、正しい情報を元に準備するため、外務省外国人課ウクライナ担当、在日ルーマニア大使館、在ルーマニア日本大使館領事部へ直接電話で問い合わせました。そこで得た回答は以下の通り。
- ウクライナ隣国(ポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ)へはパスポートなしで避難入国が可能である。
- 在ルーマニア日本大使館までは自力で行かなければならない。
- 身分証明書(外務省ホームページ トップページ下部⇒「海外渡航・滞在」“ビザ”⇒3ビザ申請書類ダウンロード “身分証明書(PDF)”)を人数分入力し印刷。写メをウクライナの家族に送り、日本大使館でその写メを見せる。
3/3 モルドバ、ルーマニアどちらに避難するのがよいか。在モルドバ日本大使館HPによるとウクライナ侵攻がはじまってからモルドバ国内の空港が閉鎖になっているとの情報掲載があり、またモルドバへ避難後は72時間以内に第3国へ行かなければならないこと等が判明しました。選択肢はルーマニアになりました。
3/6 第1回チャリティレッスンを終えたその夜。出国避難をしたいと家族から連絡がありました。

先の問合せでわかったことを元に急いで準備をはじめました。念のため、ウクライナの家族からパスポート、ウクライナ国内パスポート、子供達の出生証明書の写真を送ってもらい、これらも身元保証書と一緒に在ルーマニア日本大使館にあらかじめメールしました。
ウクライナ現避難地からルーマニア国境までの車移動はご家族自が手配されました。問題は、国境から在ルーマニア日本大使館まで自力で行かなければならないこと。ルーマニア入国~首都ブカレストまでの直線距離約600kmの移動手段と宿泊先の手配が必要でした。「入国したらおそらくボランティアや支援団体が助けてくれるだろうから、探してみてください」と言われていましたが、不確実なので心配です。自分のための手配なら「なんとかなる」と思って出たとこ勝負できますが、母国語のみを話す高齢者を含む女性と子供さんたちです。できるだけ体に負担がかからない確実な手配をしたいと思いました。
オプション① 当初選択予定だった 空路

ルーマニア国境シレト~スチャバ(タクシー又はバスで約1時間)
スチャバ空港~ブカレスト(飛行機で約1時間15分、一人当りチケット代約6500円)
ただし、ブカレストまでのフライトは早朝のみのようだったので、スチャバに1泊しなければならなりません。
スチャバ空港近くのホテルを検索したら2つヒットしました。一つはホテル、もう一つはキャンプ場?。どちらもあまり近いとは言えず、どうしようかと頭をかかえてしまいました。
良いと思える移動手段を見つけられず、途方にくれました。
オプション② 実際に選択した 陸路

「ルーマニアまで行って自分が運転して車で連れてくるのはどうか」とヴァレリ先生が言われました。
先生の提案は即座に却下しました(感染水際対策のため更に手続き準備が必要)が、「待てよ。国境ならバス、タクシーがおるじゃろ」と思い、グーグルマップを指で最大限に拡大。なんとタクシー会社「Taxi Siretタクシーシレト」を見つけました。親切なことに電話番号まで載っていたので、とりあえず電話してみたところ、かたこと英語の男性が出たので、ブカレストのホテルまでウクライナ人を連れて行ってほしいことを伝えました。5人乗りの箱型車なら$350、7-8人乗りの車なら$550。どっちにするかと尋ねられ、7-8人乗りの車を手配しました。

次に宿泊先を探しました。日本大使館の方からビザ発給まで何日かかるかはケースバイケースでわからないと言われていたため、高級なホテルは空きがありましたが1泊何万円も支払う余裕がなくアパートメントタイプの宿泊先を探しましたが、どこもいっぱいで予約できません。Facebookのウクライナ避難民のためのグループに呼びかけて、シェルターを数件見つけましたが、日本大使館から距離があったので、大使館の担当の方に近くにどこか滞在できる所はないか相談しました。大使館にほど近いホテルIrisa https://www.irisa.ro/hotel/ に空きがあったのでここを予約しました。1泊$260・・。2-3日のうちに別の少し安い宿泊場所を探そうと思っていました。が、結局数日後にホテルの担当者が宿泊費を安くしてくれたのでルーマニアを発つまでここに滞在しました。


3/7 現地時間早朝6時ウクライナの避難場所を出発、ルーマニア国境シレトまで車で約3時間。国境までの道路には何キロにも渡って乗り捨てられた車が並んでおり、運転手さんは反対車線を走って国境へ到着。車を降りて徒歩で国境を越えてルーマニア側へ渡りました。入国手続きは予想通り長蛇の列。数時間かけて入国手続きを終えました。私のサーチ不足だったのですが、国境付近はタクシー等が入れない区域だったらしく、寒い中3km歩かなければならなかったそうです。その後タクシーを待って午後2時過ぎタクシーに乗車。ブカレストのホテルへ到着したのは、現地時間22時過ぎでした。ホテルへはチェックインが遅くなることをあらかじめ伝えていたので、問題なくチェックインできました。安全で温かいベッドで久しぶりに安心してゆっくり眠れたそうです。
しかしながら、皆さんが無事にホテルに着くまでは、安心できませんでした。というのも、この有事で世界の多くの方々は支援の手を差し伸べようとされている中、それでも誘拐や連れ去り、窃盗は発生しているのも現実です。電話で話しただけの知らない運転手がもしや良くない人だったりしないかと心配でたまりませんでした。結局、一生懸命長距離を運転してホテルまで送り届けてくれた良い方だったようです(疑ってすみません)。ただ、グーグルマップを使って運転された経験がない方で、ヴァレリ先生が送信したホテルの住所までの経路とナビの使い方を説明するのが大変だったそうです。

3/8 現地の日本大使館には、皆さんがブカレストに到着したことを連絡していましたが、パスポートを持っていない方々もいたため、まずはブカレストにあるウクライナ大使館に直接行ってもらうことになりました。本来は電話で予約をしないといけないのですが、この有事で、ブカレスト、日本、キエフ、どこのウクライナ大使館も電話がつながらず直接来館。しかし案の定、「ウクライナキエフの本局が機能していないのでパスポートは現在作れません」とウクライナ大使館で言われたそうです。仕方のない現状です。このことは日本大使館や日本の外務省も理解されていましたため、パスポートがない方々に関しては「渡航許可証」+「短期滞在査証(ビザ)」を発給して入国許可をいただけることとなりました。
こちらで「査証申請書」をダウンロードして、あらかじめ必要事項を入力、ルーマニアの日本大使館へ人数分送信しました。何が大変かと言いますと、キリル文字で書かれた名前や住所、出生地等々をアルファベット表記に直さなければならなかったことです。
3/9 9:30 日本大使館で各々の本人確認、査証申請書に署名、写真撮影。領事部ご担当の浜野さんは本当に親切丁寧に対応してくださいました。
3/10 外務省から大使館へ「渡航証明書」での入国許可の連絡があり、旅券を所持していない方々の渡航証明書のために、出生地(Place of Birth)CITY市, PROVINCE県や州, COUNTRY国について教えてくださいとメールが来ました。またまた各自のウクライナ国内パスポートと出生証明書のキリル文字をアルファベットに直す作業です。今どきのグーグル翻訳はかなり正確ではありますが、地名に関しては更にグーグルマップでそこが実在するのか確認して、はて?村なのか、町なのか、市なのか、県なのか、州なのか・・・。 大変でした。

3/12 街頭募金
3/14 渡航許可書、査証が発給されました。

さあ、航空券手配、日本への入国準備です。
日本入国のためには感染防止水際対策に沿った対応が必要です。
今回ウクライナからの避難民に関してはワクチン証明書は免除されましたが、「出国前72時間PCR検査での陰性証明書」は必須です。72時間前というのは結果が判明した時間ではなく検体を採取した時間です。その時間を考慮した航空便、そして万が一、陽性者が出た時のことを考え、無料で変更可能な航空券を予約しなければなりませんでした。更に、高齢者と子供に負担がかからないフライトをそのコストと相談しながら手配しました。ここでも大変悩みました。友人にも相談しました。そしてエアフランス(ブカレスト〜パリ〜関西空港 乗り換え時間を含む合計20時間)の航空券を手配することとしました。今はなんでもネットで予約・決済ができる便利な時代です。しかしながら、数名分の航空券決済となると金額が大きく、一度にカード決済することができなかったのです。困りました。そこで、カード会社に電話をして事情を話したところ、電話で担当者と話しながらカード決済をすることができました。ほっとしました。

出国前72時間PCR検査
次に日本の陰性証明書に記入してくれるPCR検査可能な医療機関探しです。
現在は感染防止水際対策のため日本への渡航前に、先述した出国前72時間PCR検査を受けて「陰性証明書」に加えて「誓約書」「質問票」を日本入国時に提出しなければなりません。大使館から現地でPCR検査ができる医療機関リストをいただきましたが、どこも有料です。一人当たり5000円~1万円はかかります。それが人数分ですので更なる負担です。でも、同じホテルに滞在していた別のウクライナ人に、ウクライナからの避難してきた人が無料でPCR検査を受けられるという医療機関を教えてもらうことができました。この医療機関は大使館のリストには載っていませんでした。 早速その医療機関のホームページをチェックしました。
Dom Vista Medical https://domvistamedical.ro

3/15 12時PCR検体採取 19時PCR検査結果が出て全員陰性でした。日本大使館で印刷していただいた日本の陰性証明書を持参してもらいましたが、ここではこの医療機関専用の陰性証明書が発行されました。所定の検査を受けたこと、日時、氏名等々必要事項が記載されていれば医療機関から発行された証明書でも大丈夫だと厚生労働省ホームページにありましたので、この証明書、誓約書、質問票を準備して飛行機に乗っていただくことにしました。
日本入国時に「MySOS」アプリをインストールして自主隔離中の所在と健康確認をしなければならないことは、この時点でわかっていたのですが、このアプリが日本語と英語のみの対応であること、1名スマホを持っていないため入国後に有料でレンタルしなければならないことがあったので、入国後に対応すればいいかなと思ってそのまま出発してもらいました。(ああ!これが大変な間違いでした!)

3/17 早朝ルーマニア出発 パリ経由
3/18 9:55関空に到着しました。にもかかわらず…
「MySOS」
入国後はGPSによる所在確認や健康確認のために先述した「MySOS」アプリをスマホに入れなくてはいけませんでした。入国時にスマホを持っていない人は有料でレンタルもしなければなりません。このアプリは入国前にインストールして入力しておけば、入国がスムーズになることは知っていましたが、言語が日本語と英語のみだったのでウクライナ語のみ対応可のご家族には事前インストール難しいだろうと思い、していただきませんでした。なので、到着した関西空港で行わなければなりませんでした。子供に関しては親のスマホで管理可とのことでしたが、スマホを持っていない高齢者はレンタルしか選択肢がありません。一人一人入力したり、なぜパスポートがないのか等々のマニュアル通りの質問に対応しなければならず、それに6時間半かかりました。できるだけ高齢者と子供に負担がかからない航空便の手配をしたにも関わらず、空港に6時間半の足止めとなりました。ブカレストからパリを経由して関西空港に来たのですが、ルーマニアからパリまでの飛行時間より長い時間の足止めされて皆さん本当に疲労困憊されていました。大切な感染防止の手続きですが、入国してきた人とその手続きを負う担当の方たち双方にとって何かより良い方法が今後整備されるといいなと思いました。

今後日本への避難を希望されるウクライナ人の方々の為に、PCR検査が無料で受けられる医療機関名と「MYSOS」の事前登録をした方が良いことをルーマニアの日本大使館の担当の方に情報を共有しました。
16:30 関空から福岡へ向けて出発
3/19 午前3時福岡到着
到着は遅い時間でしたが、用意した「にわかウクライナ料理」を「ドゥージェ・ジャークユどうもありがとう」と言われ涙を流しながら食べてくださいました。疲労はあるものの平和な日本へ来れた安堵の表情でした。まずは、自主隔離1週間。どうか少しでも心と体を休めていただけますように。

ありがとうございました。
ウクライナで
自宅から国内避難地、そこから国境まで一人で運転してくれた兄嫁の父
国内避難地で空き家を提供してくれた昔の同僚
自宅と国を死守している兄と全てのウクライナ人
ルーマニア国境で
170ドル現金を現地通貨で手渡してくれたアメリカ人らしき(ご家族談)方
国境から600km運転してくれた方
ブカレストで
ウクライナからの避難民のため宿泊料を安くしてくれたホテルIrisa
無料でPCR検査できるところなどの情報交換や通訳をしてくれたウクライナから避難してきた女性達
出国前PCR検査を無料で提供してくれたDom Vista Medical(通常は一人$50~$100かかります)
通常業務の他に必要書類の印刷、ホテル検索、到着確認の電話までしてくださった在ルーマニア日本大使館領事部の浜野さん。何度もメールや電話で親身に対応してくださいました。
日本で
レッスン中に急な対応を余儀なくされていたヴァレリ先生をご理解いただきレッスン受講やイベントへの参加をしてくださる生徒の皆様
たくさんのウクライナの平和を訴えるグッズを作成してくださり、支援をしてくださるスタジオコーン古賀先生
街頭募金、チャリティレッスン、ギフトチケット購入等のご支援にご協力いただいた方々
チャリティレッスンへのご協力をしていただいた佐世保市役所国際政策課
佐世保市長
受け入れ体制の整備に協力していただいた筑紫野市役所人権課と作業してくれた方々
友人・知人

多くの方々のご支援・ご協力のおかげで
ウクライナから日本へ避難していただくことができました。
これからも医療・教育・生活など様々な課題が続きますが、
できうる限りの支援を続けていきたいと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いします。


参考動画 MySOS
<僭越ながら個人的な感想>
現地の正確な状況が確実にわからず困った。
各々のウクライナからのID書類がキリル文字で書かれており、氏名や住所をアルファベット標記にしてビザ申請書や身元保証書等の必要書類を作成しなければならずもっと勉強しておけばよかった。
高齢者と子供さんの渡航が少しでも負担の少ない移動手段となるようその費用を考えながらさがす際の自分の要領の乏しさ。
自分が手配した方法が間違った結果にならないか心配で、その重圧で眠れなかった。(愚痴です)
可能なら現地との情報交換や手続きを手伝える民間との連携があるといいと感じた。各省、大使館の方々も最大限尽力してくださっているが立場上、決まった枠以上のことができないことがある。個々の事情にあわせた支援ができる仕組みがあったらいいなと思った。
呼び寄せに際し、個々への支援ができないか、できることが何なのか、各所に問合せをしたところ「上からの指示が具体的に下りてきていないが、何ができるか話合います」との回答が多かった。政府の発表は「人道的支援、ウクライナ避難民を受け入れます」とあるものの、その具体的方法を調べるために、外務省、出入国管理局、法務省、厚生労働省、各大使館へそれぞれ問合せが必要だった。
今後、避難して来られる方が多くなることを想定した具体的でわかりやすい仕組み作りが必要なのではないかと思います。そしてその仕組みが大使館や関係者の方々の経験を踏まえた実用性のあるものであって欲しいと思います。
